先日、子どもと一緒に3D版”ライオン・キング :ムファサ“を観た。
いやあ…
“ライオン・キング”より全然いい!!
ディズニーは好きな作品いくつかあるんだけど、ライオンキングは自己ランキングではかなり下の方で。
あと”ライオン・キング”というと映画よりも劇団四季のミュージカルが印象強く残ってまして。
学生時代に友達から「すごく良かった!私は2回行っても良いから一緒に行こう!」と誘われて見に行ったんだけど、私の琴線には触れず。
ミュージカル自体があまり好きじゃないせいだと思うけど。
とにかく私にとって”ライオン・キング”は子ども向けの完全超悪の物語、という評価だった。
でも”ライオン・キング:ムファサ”は大人も子どもも楽しめる映画!
ここではこの映画の魅力を語っていきたいと思います🦁
3Dリアル系の戦闘シーンがかっこいい
3Dなので、アニメ版に比べライオンの戦闘シーンがかっこいい。
ライオンの“百獣の王感”がすごく伝わる。
悪役の白いライオンたちのビジュアルもめちゃカッコ良かった。
あと表情はアニメの方が分かりやすく表現できるんだけど、3Dだと現実の動物と同じように感情がダイレクトに表情が出ないんですね。
でも無表情なのに感情が仕草から伝わってきて逆に胸がつまるのよ…!
動物飼ったことある人なら分かると思います。
数年前、実家で飼ってた子猫が死んでしまったとき、母猫が動かなくなった我が子の臭いを嗅いで、それから少し離れたところで寂しそうに座ったんですね。
その姿を見て私は何とも言えない気持ちになりました。
涙は出してなくても身体全体から悲しみが伝わってくるんですよ。
なので、この映画の中で登場人物が悲しみを感じるシーンがあったとき
「そうそう!動物って悲しいときこんな感じだよねー!」
と感情移入してしまいました。
子どもはムファサに憧れ、大人はスカーに共感する
何と言ってもこのムファサの物語が”ライオン・キング”を超える作品たらしめているものは
描かれるスカーの過去
にあります。
”ライオン・キング”ではスカーは“ムファサとシンバに激しい嫉妬と憎しみを抱き2人を陥れる悪役”として描かれています。
ムファサの物語では
なぜスカーがそうなるに至ったか、と
スカーの右目の傷跡の秘密
が描かれており
観客は「そりゃ悪に染まるのも分からなくない…」と腑に落ちるだけでなく、共感することになるでしょう。
ムファサとスカーの関係を見て、私の脳裏に浮かんだのは
大谷翔平と水原一平の関係性
でした。
(※まだ引きずる大谷ネタ)

例の事件前の水原氏のもてはやされ方は球団通訳としては異常でした。
球場に登場すればまるでメジャーリーガーと同等の声援で迎えられ、観客の中には“MIZUHARA”と書かれた横断幕まで持った人も。
“大谷の今の地位を築けたのは水原氏の貢献が大きい”
それが世間の評価でした。
しかし事件後は掌を返したように
“あの2人の強烈な一体感と卓越した水原氏の通訳スキルは「俺のおかげで今の大谷がある」という甚だしい勘違いにより作り上げられたものだった”
という解釈に変わったように思います。
大谷は水原氏がいなくてももちろん輝ける。
ーでも水原氏は大谷なしでは輝けないー
スカーも同じで。
ムファサはどこにいたって周りを惹きつける。
どうやっても輝いてしまう。
でも
ースカーはムファサがいないと輝けないー
スカーのムファサに対する兄弟分としての愛情と憧れ、そして常に二番手にしかなれない悔しさ。
そして初恋に破れてしまったとき、遂に良心が崩壊してしまう流れが
すっごく分かりみ〜!!
なのです。
一度この映画を見終わってから、序盤の幼いムファサとスカーが草原を追いかけっこするシーン見ると涙出てくるの。
スカーはムファサのこと、昔は大好きだったんだよね…
ムファサの物語を見てから”ライオン・キング”を見ると、群れの中で敗者・裏切り者の烙印を押され、悪を心の内で増長させてしまったスカーの日々に想いを馳せずにはいられません。
スカーの良さを理解できるメスがいれば変わっていたと思う。
でも人間界以上に肉体的な強さがものを言う動物界ではそんな懐の深いメスも現れるはずもないか…
とも考えたり。
私たちは敗者、脇役であることに折り合いをつけていく
スカーは常に二番手=敗者である自分に絶望し、悪の道を突っ走ってしまう。
でも現実世界ではほとんどの人が敗者、脇役。
二番手、三番手にさえなれない。
大半の人は、世間で称賛と注目を浴びる人、組織でトップを走る人への憧れを抱きつつ、「自分の人生も悪くはないよね」と折り合いをつける。
以下は私の人生の書、「人間の絆」の著書であるサマセット・モームの言葉である。
「魂を悩ます感情のなかで、虚栄心ほど破壊的で、普遍的で、根深いものはありません。ー中略ー 愛の痛みは時で癒すことができますが、傷ついて痛む虚栄心をいやすことができるのは死のみです」
サマセット・モーム著、金原瑞人訳『英国参謀員アシェンデン』より
「他者よりも勝っていたい」という思いは本能にも組み込まれたもので、いかに人間が社会性の高い生き物で知性を育てても、捨て去ることはできない気がしている。
捨て去るということは動物である以上無理なのではないか。
捨て去ろうと努力するより、うまく付き合っていこうとする方が良い。
そして、”自分の持って生まれたものの範囲を超えたモノ”になりたいと願うことは、不幸の始まりを意味し、挫折へのデスロードを歩むことが約束される。
ただ、若い時はそのデスロードを歩む過程が大事だ。
そして挫折を幾度か繰り返して
自分の持って生まれたものを最大限に生かして生きるのが、それぞれに与えられた使命だ
という結論に多くの人はたどり着くのだろう。
“ライオンキング:ムファサ”を見て、私はスカーと同じように堕ちていってしまった人間に思いを馳せ、同時に自分の中に巣くうスカーのありかを感じたのでした。
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