初一時帰国で思いがけず感じた強い想い

海外生活
首都高の一部であるレインボーブリッジ。私が好きな東京の夜景の一つ。

初の海外生活開始から約1年経ち、先日初めて日本へ一時帰国した。

そこで思いがけず自身の中に湧き上がってきた強い想いがあったので、記していこうと思う。

(せっかくHP持ってるのに全然更新してなくてもったいないしね!)

東京がHOMEになったと感じた

空港に降り立ち日本の冬の冷たく澄んだ空気を吸うと、思いがけず強い郷愁に駆られた。

ーここが私のHOMEだー

という強い想いが胸の内から湧き上がるのを感じた。

私は東京では育っていない。大学進学を機に上京した地方出身者だ。けれども東京近郊に15年以上住み、大学も東京、そして職場が東京だった時期も数年あるので慣れ親しんだ土地と言って良い。

東京もしくは東京近郊(埼玉、千葉、神奈川)で生まれ育った人間は、東京という場所に対して上京組ほど感傷的になったり憧憬を抱いたりしない。

そして私は東京に慣れてはいるし恐れもなくなったけれど、HOMEいう感覚はなかった。

私にとってのHOMEは飽くまで私が生まれ育った土地だった。

しかし今回、空港を車で出発し首都高から夜景を見て私は東京を自身のHOMEだと感じたのだった。

話は少しズレるが、私は首都高から見える東京の夜景が好きだ。

首都高の夜景を見るとき、私は高揚と切なさが入り混じった何とも言えない気持ちになる。

そして東京の街そのものが壮大なアートであることを感じる。

外国の方々にはぜひ首都高に乗り東京の夜景を観ることをぜひ勧めたい(そういうバスツアーがどうもあるらしいよ)。

日本の文化と産業、国民性の素晴らしさ

同調圧力が強い、意思決定が遅く生産性が低い、上がらない給与、詰込み型教育が世界標準とズレている(ことに英語教育の失敗)、母親・女性に世間が厳し過ぎる、などSNSでは日本に関するネガティブな意見が多く見られる。

でも私は駐在前から日本が好きだったし、今回の一時帰国でより好きになった。

日本人の仕事の進め方や人間関係における距離感ーそれは本当に繊細で面倒なことも多いけれど、相手の深い思考に基づく思いやりにハッとさせられるときもある。

そしてその複雑な思考に基づく気遣いこそが日本の文化と産業の根底にあると思う。

お菓子の包装然り、様々な趣向が凝らされた雑貨、狭小住宅の機能的な収納スペース、高機能家電。

海外に住み一時帰国すると、それらに散りばめられた日本人の細やかな感性をより感じられるようになった。

また、日本の四季が見せる風景の美しさとそれが人に与える影響の大きさにも気付いた。

私が今住んでいるところは熱帯地域と言われる国だ。

暑い国に共通の傾向だが、この国のアートはビビッドでポップであり、国民性もノンビリしており寛容である。

私はこの国の国民性は嫌いではない。

ただ、アートに関してはあまり好きにはなれないのだ。

シンプルで余白を大事にする日本人の美的感覚からすると、この国のアートに彩られた街を歩いていると心と目が疲れてしまう。

(ちなみに学生時代にフランスとイタリアに行ったことがあるが、実はヨーロッパでさえ同じことを感じた。)

日本人の美的感覚の根底には、日本の四季の多様性とそれが生み出す美しい日本の風景があるに違いない。

色々理由を挙げたけど、なぜ私が日本を好きなのか

色々理由を語ってみたし、どれもこれも本当のことなのだけど、結局私が日本を好きなのはそこが「生まれ育った国であるから」だ。

日本に降り立ち、東京を歩き、故郷に帰ればあらゆる場所で五感が刺激され過去の思い出がよみがえり、胸が締め付けられる。

とりわけ私は朝登校したときのストーブの音と温かさに包まれた教室の雰囲気が好きだった。

今の時代にはなくなってしまったけれど。

日本の冬の寒さに触れたとき思い出すのはそれである。

きっと私はどこに生まれてもそこが極端に悲劇的な場所でない限り、私はその国を愛しただろう。

そして多くの人間はそうなんだと思う。

海外に飛び出し別の国で自分らしく暮らせる人も中にはいるだろう。

でも自分の国が好きで、そこで生きていけたらそれほど楽なことはない。

世界から取り残されていると揶揄もされるけれど、私は独自の文化を持つ日本のガラパゴス環境を素晴らしいと感じている。

世界と戦うためには英語力の向上は必須であるけども、その他の色々なものを欧米化する必要はない。

寧ろ日本はガラパゴスであり続けるべきだと海外に住んでみて強く思ったのだった。

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