Top Boy season3(最終シーズン)感想 ※ネタバレあり

カルチャー

Top Boy のseason3について語っている日本語サイトがあまりなく、私自身過去に本ドラマの紹介記事も書いてもいるので感想を書き記すことにしました。

最終シーズンにあたるシーズン3及びそのエンディングについての視聴者の評価は大方高評価が多いように思います。

任侠映画らしいバッドエンドなんですが「このエンディングしかあり得なかった」という声が多いです。

ただ私自身は

確かにその通りだけど、もう少し希望のある終わりにしてほしかった

というのが正直な感想です。

私がそう感じた理由について語っていきます。

視聴者の評価

まずシーズン3の世間での評価です。

”これはイギリスから生まれた最高の作品だ。何世代にもわたって感動を与え、貧困や競争へ目を開かせ、そしてどんな道を選ぼうとも自分の道を見つけることの必要性を訴えかけた。今後も象徴的な作品であり続けるだろう”

”私のTop5に入る作品!打ち切り後もメインの俳優たちをつなぎとめていたのは素晴らしい”

”このシーズンで終わらせるのは完璧だった”

”最高!こんなかっこいい終わり方あるの”

一方で

”出来の良いトレーラーのせいでテンションが上がってしまったけどあんな残念なエンディングとは”

といった声もあり、バッドエンドに落胆したファンも少なからずいた模様。

個人的な感想:結局ただのギャング(チンピラ)じゃん、と失望を感じてしまった

サマーハウスシリーズではサリーが誤って2度も殺人を犯しており、それがその後ダシェンとサリーの間に大きな溝を作ってしまう契機となりました。

サマーハウスシリーズでのサリーはまだ子供っぽさが残っており、暴走してしまうサリーをダシェンが制止し尻拭いをしてやる、という関係性でした。

しかし、続編のTop Boy シリーズではサリーは陰鬱で疑い深く、キレたら何をするか分からないと同時に冷静に確実に獲物を仕留めるTHE 仕事人のようなキャラクター設定になっています。一方で家族と仲間に対しては情と寛容さを持ち合わせており、仲間内では一目置かれた存在として描かれています。

そういったキャラクター性と俳優Kanoの卓越した演技力もありサリーファンは多いです(恐らく一番人気だったのではないかと思います)。

それが

season3ではただただ冷酷なチンピラに成り下がってしまったように感じました。

これはダシェンについても同じなんですが。

ただ、マフィアではなくギャングを題材にしたドラマなのでとても納得でき自然な流れな訳です。結局はならず者ですから。

でも…サマーハウスシリーズ含めseason2までは悪事を生業としている一方familyへの情と忠誠がありその世界での筋も通しており、だからこそカタルシスがあったのですがそれがなくなってしまったので共感ができなくなってしまいました。

これってただのチンピラじゃん

という失望を感じずにはいられませんでした。

別のエンディングはあったのか?

ある時点からバッドエンディングが不可避になった

ただ、多くの視聴者が言うように「このエンディングしかなかった」というのは私も分かるのです。

なぜなら理不尽な殺人をダシェンもサリーもたくさんしてきているからです。彼らだけがハッピーエンドを迎えるのは説得力がないでしょう。

しかしTop Boy season2の中盤まではハッピーエンドはあり得たと感じます。

私は彼らのバッドエンドが避けられなくなってしまったのは

season2の最後でジェイミーをサリーが殺したところから

だと考えています。

サリーがジェイミーを殺した理由は視聴者の間でも意見が分かれていますが恐らく以下でしょう。

・親友キットを殺したことで危険人物と見なした(親友をも殺す人間はいつ自分たちを裏切ってもおかしくない)。

・ダシェンが自分ではなくジェイミーを後継者に考えていたため。

サリーは元々ジェイミーを信用できず仲間に加えることを反対していました。そのジェイミーがグループのトップになることはサリーにとって到底容認できるものではありません。

また、その判断を下したダシェンにも納得できずジェイミーを殺した後ダシェンに最後通牒を突き付けました(サリーはseason3の冒頭でダシェンに「リーダーを降りないなら殺すことも厭わない」と迫ります)。

しかし、ジェイミーに選択肢はなかった。

キットを消さなければそれは自分が破滅する。

弟たちとの生活を守るために苦渋の決断でキットを消した。

そんなジェイミーをサリーは殺した。あまりにも理不尽なのです。

またジェイミーは第2の主人公と言われるほど丁寧に人物像が描かれファンも多かったようです。

そんな物語の中心人物であるジェイミーを理不尽に殺してしまったことでサリーのバッドエンドが決定的になってしまった、と私は考えます。

私が考えるもう一つのエンディング

最終話でジェイミーの弟がサリーを殺さず兄と違う道を選んだのは一つの希望になっていると思います。

ただ私はもう少し希望のあるエンディングにしてほしかった、というのが正直なところです。

ジェイミーは死ぬとしてもサリーが殺す、という形でなければそうしたエンディングは十分あり得たと感じます。

また、ダシェンが抱えていた心臓の動悸が伏線回収されておらず、ダシェンは病気で死にサリーは生き残る、というエンディングもseason2までは脚本家の中ではあったのではないかと感じさせます。

ダシェンとサリーが和解し、2人とももしくはサリーだけは九死に一生を得てどこかでひっそり穏やかな孤独と共に生きていく――

そんなもう一つの痛みのあるハッピーエンドもあり得たのでは?と思わずにはいられません。

サリーを殺したのは誰だったのか?

視聴者の間で白熱した議論になっているのが

”誰がサリーを殺したのか?”

という点です。

私は脚本家は最初から犯人を設定していなかったと考えていたのですが、実は当初は設定があったそうで最終的に明かさない方向となったようです。

私はサリーとダシェンが殺したアイルランドギャングの一派か、ジェイミーの仲間であったSi(ジェイミーの弟ステファンを気遣い仲間に引き入れた青年)かと思いましたがジャック説をあげている方がいてしっくりきました。

アイルランドギャングかSiだとサリーを殺す相手としては弱い、というかカタルシスがないんですよね。

ジャックはサリーとダシェンの右腕で、ジェイミーと同じくらい存在感を放っておりメインキャラクターでした。それにも関わらず最後は足を洗ったのか洗ってないのかが分からず行く末が曖昧な感じで終わっているのです。

また、ジャックは自分の行動が元でサリーと最悪な形で別れることになっており、命を狙われる危険すらある状態です。

そう思うとジャックが家族を守るために、また理不尽に仲間をも殺めるようになってしまったサリーを殺す、というのは一番納得できる答えだなと感じました。

脚本家は「絶対に犯人は明かさない」と言い切っているので真実は視聴者に委ねられていますが。

終わりに

トレーラーのコメントにはサリーを演じたKanoの演技に対しての賞賛が多くありました。

私もサリーというキャラクターが好きでこのドラマを見ていた、と言っても過言ではありません。

そしてそのサリーの死で物語は幕を閉じました。

サリーを突き動かしていたものはTop Boy になること以上にダシェンに認められることだったのではないかと思わずにはいられません。

物語の最初から最後までこじらせてしまうのは”なぜ俺を対等に扱ってくれないんだ”というダシェンへのサリーの愛憎だったように感じます。

家族がおらず温かい家庭に憧れを抱いていたサリー。

自分と境遇の似たジェイソンを弟のように大切にしたのも家族が欲しかったからなのでしょう。

ダシェンも兄であり家族でした。

サリー:”俺を対等に見ていたか?俺はただリスペクトが欲しかった”

ダシェン:”――リスペクトしていたさ、fam”

※fam:familyの略

このダシェンとの最後の会話でサリーは自分が間違っていたのかもしれないと後悔を抱いたようにも見えました。

ダシェンを失った後のサリーは廃人同然です。

サリーの生きる原動力になっていたものはダシェンに認められたいという愛憎の想いだったのではないか、と私は思うのです。

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